− は じ め に −

1 都市計画マスタープランの意義

 都市計画マスタープラン(都市マス)は、都市計画法18条の2にある「市町村における都市計画の基本方針を定める」ことに基づいて、作成されることになっていますが、その内容や作成方法は、本来の法の狙いを超えて広がり、深まっているといわれています。マスタープランという規範的な計画を作ることの必要性というよりは、むしろ都市マスが市民参加を通じて作られる点に全国各地の市民が共感して、計画策定に参加してきたことによって、都市マスが進化していったのです。もちろん、都市計画法が1992年(平成4年)に改正されて、上記条項が盛り込まれる前にも市民参加によるまちづくりは日本の各地で行われてきましたが、それは必ずしも市民参加を歓迎しない行政などとの軋轢(あつれき)を伴いながら進められてきたものであることは否定できません。しかし、法律に「市町村は、基本方針を定めようとするときは、あらかじめ、公聴会の開催等住民の意見を反映させるために必要な措置を講ずるものとする」と明記されたことによって、焦点は市民参加を認めるべきかどうかから、市民参加によって何をどう変えるかに移ったといえます。
 つまり、市民の意思をもっとも反映しうる参加の形態はどのようなものか、その結果、作成される計画が内容的にこれまでのまちづくりを越えるものとなるにはどうしたらいいのか、などが重要な課題になってきたのです。国立市でも、まさにこうしたまちづくりの新しい流れを受けて、市民参加による都市マスづくりを進めることになりました。

2 国立の市民参加

 国立市の都市マス策定では、種々の市民参加形態を重層的に組み合わせることによって、この課題に応えようとしてきました。
■サポート会議
 まず予備的な段階として、国立市の呼びかけで1999年(平成11年)12月に「国立まちづくりサポート会議」が結成されました。市内在住者を中心に、在勤者や国立に関心を寄せる人を含んだまちづくりに関する多分野の専門家がメンバーです。ここでは、本格的な市民参加によるまちづくりの母体となる市民会議のあり方や、そこでの都市マス案作成の方法や課題が議論されました。何しろ国立では初めての都市マスであり、本格的な市民参加なので、サポート会議の4ヶ月の活動で、専門家の経験に基づく知識や意見を結集して、市民参加による都市マスづくりの方向を定めることができたのは貴重な体験でした。
■市民会議
 2000年(平成12年)5月には、いよいよ「まちづくり市民会議」(市民会議)が発足しました。市民会議も、やはり、国立市の呼びかけで、市内在住者を中心として、在勤在学者、さらに国立に関心を寄せる人の参加も歓迎して設立されたのです。市民ならばもちろん、これらの条件に合う人なら、誰でも、いつでも参加できる。さらに、後から参加する人や欠席者がそれまでの議論に追いつけるように、ニュースレター発行、インターネットのメイリングリストによるメイル送付、さらに市民会議事務局による説明、各地区での説明会などが行われてきました。
■ワークショップ
 市民会議の進め方で採用された方法はワークショップ方式というもので、会議のメンバーは、毎回のテーマに関して少人数のグループ討議を行い、その結果が図面と文章でまとめられて発表され、意見交換を通じて、参加者全体に問題意識、課題、解決策などが共有されていきました。議論のはじめには、「まち歩き」といって、これからワークショップで議論を重ねる場所をみんなで歩き、問題意識を共有することも励行されました。さらに、折に触れ、その問題の専門家からの講義を聴く機会も設けられました。
■テーマと地域
 振り返ってみれば、ワークショップの数は相当数に達しました。前半の2000年夏までは、「自然」、「生活」、「交通」、「街並み」の4大テーマごとにグループが形成され国立全域を対象にした議論が行われました。2000年10月1日にその発表会を行ったのち、秋以降は「北」、「東・中・西」、「富士見台」、「南」の4地域のグループに分かれて、地域別の課題や解決策についての議論が行われました。その間、隣接する各市(国分寺、立川、日野、府中)と、共通に検討するべき事項についての意見交換を行ったり、商店会や市内一部自治会、町内会との意見交換を行い、市民会議参加者の理解を深めると同時に、これらの諸団体に国立の都市マスづくり関する理解と協力を求めてきました。
■まとめと懇談会
 こうした地域別の議論がおおむね2000年12月頃までに一段落した後、前半のテーマと後半の地域を関連させてまとめていく作業が行われ、並行して各地域に入って、市民会議には直接参加していなかった方々に作業経過を報告して懇談する会が開催されました。これらを集約して、「市民提案の素案」がまとまり、2001年(平成13年)5月13日に発表会が行われたのです。素案の要旨は市報でも紹介されましたが、市民会議では、その内容を市民に伝え、市民の意見を聴いて素案を修正して「市民提案」とするべく素案の全戸配布を敢行しました。もちろんボランティアの市民会議メンバーが、約3週間かけて市内33,000戸に配布したのです(自治会等一部配布依頼した地域もあります)。さらに、延べ10会場において市民との懇談会を開催して、内容を説明し、意見を伺ったり、社会福祉協議会、障害者団体、国立駅前大学通り商店会の方々との懇談会を開催しました。こうして、素案発表会における意見、市民及び団体との懇談会における意見、さらに文書や電子メイルで寄せられた意見をもとに素案を修正する作業が、2001年8月に行われ、この「市民提案」がまとまったのです。また素案に対するすべての意見は「『市民提案の素案』に対する意見集」として、とりまとめられました。意見の中には、修正作業で市民提案の中に盛り込めたものが多かったのですが、残念ながら十分に活かすことができなかったものもありました。それのすべては、意見集に含まれているので、今後の作業の中で参照して欲しいと思います。
■次のステップ
 2001年8月25日に開催されたちょうど29回目の会議で市民提案は発表されました。これから最終的に都市マスをまとめていく過程が残っており、市民提案は都市マスの完成版から見れば中間的なものとなります。そのため、市民提案では一つの案に集約するのではなく、数々のワークショップで提起された問題や解決策(それらは一つ一つが1枚の付箋紙に書き込まれ、その合計は数千枚に達しました)をできるだけ尊重しました。つまり、ワークショップでの意見交換で、相互理解、意見集約をはかる努力はしましたが、多数決によって少数意見を捨てることはしませんでした。その結果、市民会議案の中には、矛盾したり、対立する意見が共存している場合もあります。
 これらをさらに集約し、一つの計画にまとめていくことが、市民提案を受け取った市に期待されています。市民会議は、こうして「都市計画マスタープラン・市民提案書」を市長に提出して、与えられた役割を終えます。今後の作業の段階で、さらに広範な市民の参加が得られるように工夫して、十分にくみ取れなかった問題の発掘、一つにまとめられなかった提案のまとめなどを行い、最終的に多くの市民が共感する都市マスが作成されることを期待しています。

3 都市マスの役割への期待

 都市マスは、それだけで完結するものではありません。先に引いた都市計画法には「市町村が定める都市計画は、基本方針に即したものでなければならない」とされています。都市マス(基本方針)を作ったら、都市計画はそれに沿ったものでなければならいというのです。日本のまちづくりは上意下達と指摘されてきましたが、しかし、すでに市民に身近な行政の代表例として分権促進の筆頭項目にあげられ、地方分権的方向での改革が進んできました。現在の段階は、まだ市民や市がまちの用途地域や地区計画など土地利用規制内容、基盤整備の計画や事業の決定、地区の保全・整備・開発などの諸事業の決定などに、本当に中心になって携われるような法制度にはなっていません。したがって、引き続き法制上、財政上の分権化が促進される必要があります。
 しかし、一方で、実質的に市町村が意見を述べ、決定に影響力を持つ事柄を積み上げれば法制上の都市計画の相当な領域に及んでいることも事実です。したがって、都市マスは、国立市に与えられている都市計画決定権限に関わる問題だけでなく、国立市が東京都知事から意見を求められる都市計画上の諸事項など、より広い都市計画事項についての基本方針となるものでなければなりません。
 同時に、今日のまちづくりは、都市計画法に書かれ、市の都市計画課が所掌してきた事項を越えて、幅が広がっています。つまり、市民のまちづくりの関心は、行政の縦割りとは無関係に、「緑地としても貴重な市内の農地を保存し、農業を活性化していくにはどのような方法があるか」、「バリアフリーのネットワークの核として福祉施設の立地やデザインはどうあるべきか」、「市の歴史遺産である国立駅舎が鉄道の高架事業の中で存亡の危機あるのをどのように救うのか」など多岐にわたっています。市民会議では、提案内容がこれまで縦割り行政の中で限定されてきた都市計画の狭い概念の中に入らなければならないとは考えませんでした。むしろ、まちづくりにとって必要だと多くの市民が考えたことを、まちづくりの中に幅広く取り込んでいくことが必要であり、望ましいと考えました。
 都市マスには、このように、今後市が進める都市計画の基本方針となると同時に、まちづくりの総合的指針として、縦割り行政を横につなぐ役割を果たすという期待もかけられているのです。

4 市民の参加動機と都市マスの枠組み

 次に、国立の都市マスの内容に触れておきましょう。分権や市民参加が世の流行だからといって、多数の市民が、まちづくりへの具体的な期待もなく都市マスの作成に参加したわけではありません。国立では、高層マンション建設によってこれまでの低層住宅地のイメージが破壊されたり、道路計画によって崖線の緑が蹂躙されようとしたり、鉄道の高架化によって市のシンボルビルであった駅舎が取り壊されようとしているという、街の変質に対する危機感が参加の背景にあったと多くの参加者は語ってきました。
 それは、現状のまちづくりが、公共施設の整備、区画整理の実施など極めて限定されたものであり、特定行政庁ではない国立市ではまちの景観に実質的に大きな影響を与える建築行政さへ十分に行えていないことを深く憂慮する気持ちに根ざしたものでもあります。さらに、都市計画にもっとも関連する土地利用規制(用途地域制)においても、これまで、その影響を検討することもなく規制緩和(高さや容積制限の緩和)してきた結果、まちの景観を一変させるようなマンションラッシュを招来したという都市計画行政の不手際に危機感を抱いたことがまちづくりへの参加を決意させた面も小さくありません。
 都市マス策定作業が始まるまでのこのような状況を考えると、都市マスに参加した多くの市民が望んだことは、まちづくりの方向を定め、それを的確に実施していくための枠組み整えることでした。換言すれば、まちづくりの理念を合意し(どのようなまちを作るべきなのか)、理念を実現するための手段を確立することが都市マスで問われたといってよいでしょう。

5 国立のまちづくりの理念

 市民会議での議論や関連する意識調査などを通じて、市民のまちに対する愛着度が高いことが明らかになりました。このことは、何も国立に限ったことではありません。市民参加で都市マスを作った多くの市で、同じような傾向が観察されています。住んでいるまちが気に入らなければ他のまちに移ればいいのですから、市民がまちに愛着を持っているのは当然のことかも知れません。さらに、まちの何がもっとも大切かと問えば、大学通りを中心とした木々の豊かな、風格のある街並みと、崖線と農地が織りなす谷保の景観に象徴される自然美が双璧であるという答えが返ってきます。
 このように、まちの現状を概ね愛情を持って見守る市民が多ければ、現状を守るといういわば保守的な発想が強くなるのはやむを得ません。つまり変化に対する拒絶や危機意識です。元来建物や自然など長く変わらないものによって構成されるまちが、歴史的に形成され、既存のものを守ることによって個性的で愛着の湧く存在になってきたことは、多くの欧米の都市や日本の都市が体験してきたところです。極言すれば、守るものがないまちは住むに値しないとさえいえます。このような意味で、国立の市民が、ためらうことなく守るべき場所を特定できるのはまちづくりの理念を共有する上で大きな強みです。
 しかし、同時にまちは発展するものでもあります。新たな建物ができ、公共施設が整い、新たな人々が住み着き、まちは変化していきます。一見奇をてらったような建築デザインが新たな文化の発露として重要な意味を持つかも知れません。古今守るべきものを持つ都市は、新たな時代へ適応し、都市を発展させるために、新旧の対立をどのように乗り越え、変化をどのように受容するかという問題に直面してきました。一つの解決策は、新しいまちを古いまちと別な場所につくって、共存させることです。スケールは違いますが、パリの郊外に作られた業務地区デファンスはこのような試みの典型例です。しかし、新たなまちを作る余裕がない場合には、建物の外観は歴史的なデザインに留めながら内部の機能を一新する手法が用いられたりします。
 いずれにせよ、国立が、今後長く存在し続けるには、新たに起こる様々な変化を受け止めて、その実を得ながら、守るべきものものを守るという柔軟さが求められるのではないでしょうか。その意味で、理念は複眼的である必要があります。もちろん、現在の段階は、まちづくりの理念を明確に打ち立てないままに、変化が進行しているという意味で、理念なきまちづくりのそしりを免れないものです。したがって、今回の都市マスでとりわけ何が強調されなければならないかと問われれば、鉄道の高架化による駅舎の撤去、高層マンション林立による大学通りなどの景観の破壊、幹線道路開通による交通事故や大気汚染や騒音振動の被害、蚕食的開発による谷保の崖線緑地や緑農地の喪失などをどのようにして防ぐかにあると答えることになります。しかし、同時に、まちが人の住みかである以上、市民の価値観の変化に対応して、まちの変化を柔軟に受け止めるという側面を理念の一角に据えることを忘れてはなりません。

6 理念をいかに実現するか?

 都市マスに書かれることは、都市計画の領域にあっては、用途地域の指定や地区計画などを通じた種々のルールづくり、都市基盤や都市施設の整備、都市開発の実施などによって実現されます。したがって、都市マスでは、理念の提示に続いて、それをどのような方法で実現するかについても言及しなければなりません。そのための詰めは、これからの最後の段階における議論で行われると期待するのですが、市民会議の議論でも、実現の方向性は提示されたのではないかと考えます。
 第1に、美しく、自然豊かなまちを作るルールを合意することです。大学通りをはじめとした学園地区の景観、谷保の崖線や農地など保全するために、積極的にルールを作ることが必要です。こうしたルールは、市民の共通の関心や利益に根ざした一般ルールと、特定の地区の市民に関わる地区ルールとに分けて考えることが適当です。学園地区の景観や谷保の崖線が貴重なものであり、多くの市民が関心を寄せているのはすでに何度も確認された事実なので、これらについてはできるだけ市の都市計画上の土地利用規制などに盛り込んで保全を図るようにするべきです。こうした一般ルールのもとに、さらに地区計画などによって地区の市民合意が制度化されることが望まれます。
 第2に、交通の利便性と環境保全を両立させることです。国立市内外の都市計画道路の整備が進んでおり、これに伴い交通事情が変化することが想定される中で、市民会議は、歩行者中心の交通体系、バリアフリーの交通体系を拡充することが重要と考えていますが、同時に、幹線道路整備が現在環境基準を上回る騒音・振動を与えている甲州街道などの沿道環境改善の契機となりうることも認識する必要があります。もちろん逆に現在の静穏な環境が悪化する危機にさらされる地区があることも十分に認識しなければなりません。しかし、こうした道路整備に伴う交通流の変化や環境変化は市民に、十分に知られていないのも事実です。したがって、各計画道路の開通後の交通量予測、騒音・振動や大気汚染の予測を早急に行い、何が起こりそうかを明らかにすることが必要です。もちろん沿道環境の保全は重要な理念ですから、環境悪化が想定されれば、幹線道路をはじめとする道路の利用の仕方に関する新たなルールを提案して実現することも必要となります。
 第3に、市民参加のまちづくりです。市内を清潔に保つことや、庭木を育て、学校や街路の樹木を育てること、さらにまちづくりの行政が適切に運営されているかを確かめるには、市などの公的組織と市民の協力が不可欠です。市民の協力は、ボランティアによる知恵や労力の提供や、市民の寄付などによる資金協力など幅が広いものです。それぞれの領域でどのような市民の協力が可能であり、求められているかを提起し、自発的な活動を呼びかけることも理念を実現する重要な手段です。
 第4に、活力あるまちの形成です。市内には生活やそれに関連した場だけでなく、商業、業務など産業活動が営まれる場も少なくありません。またそうした目的で新たに開発された地域も多いのです。こうした地域の開発を通じて、雇用機会が増え、市税収が増加することは市の財政基盤を強化する上で重要です。国立の土地の多くが生活の場としての機能を持つことを認識しながらも、産業の活性化も重要な理念の一つであることを踏まえ、産業の立地条件の改善、生活都市と共存できる産業機能のあり方などを都市マスに取り込んで実現していくことも必要です。
 第5に、バリアフリーのまちづくりです。市内には、様々な身体的な条件を持った住み、また活動しています。今後高齢社会が進むにつれて、若いとき以上にまちに安らぎや、優しさを求める人々が増えてくるでしょう。市民会議の議論のなかでも、バリアフリーをさらに拡充することの重要性が強調されました。あらゆる公共空間がより多くの人にとって快適で過ごしやすい場になるように、思いやりの心をまちづくりに浸透させていくことが必要です。

7 市民会議のこれからの役割

 市民会議は、市民自らがまちづくりに対して提案を行う「市民提案書」を作成することで、与えられた役割を終えます。しかし、参加した多くの市民は、今後も立場を変えて、提案がどのようにして最終的に正式な国立市都市計画マスタープランとなり、また実現されていくかを見守りたい、あるいは必要があれば追加的な提案を行いたいと考えています。そして、今後の作業の中で、より多くの市民が、様々な方法で参加し、懸案事項の詳細な検討が行われ、都市マスが完成することを願っています。

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